5月27日 午前:「歴史講座 仁徳天皇」  関西大学非常勤講師 若井敏明講師 

              午後:「古墳を訪ねて」関西大学吹田校見学


【仁徳天皇】 

 残念ながらというか何といううか仁徳天皇と高槻はそんなに密な関係はなかったようだ。彼が専ら精力を注いだのは河内の治水と開発だったのだろう。当時の河内は古代に存在した河内湖の影響で人の安住できるような場所ではなかったようだ。地図でも分かるように湿地帯だ。河内湖には淀川、大和川、木津川、桂川その他色んな方面から大量の水が集まってくる。その堆積物の影響で海への出口が狭まり河内湖の水があふれ、低地では人の住めるような状態ではなかった。しかしこの問題を放っておくわけにもいかず政権の最重要課題として治水・干拓に取り組んだ。

 

 

 

 

これは大阪平野の古地図です。青い点線は縄文時代の海岸線です。赤い点線は古墳時代。上町台地から西側は海です。また上町台地の東側にも河内湖(河内潟)と云う入江が広がっていました。淀川や大和川からの土砂の堆積や、海水面の後退で現在の様な地形になっています。こうして見ると上町台地以外は近世まで湿地帯・砂洲などで出来ていた軟弱地盤である事が伺えます。

参考:島田永和からのはーとふるエール

    「大阪 古代を振り返る

 

仁徳が英雄色を・・・の例にもれずかなりプレーボーイで皇后の激怒にもこりず多くの女性を娶った、という逸話などは古事記や書記に記されているようだからその通りだったのだろう。人間らしくて身近に感じる。だけど弟と皇位を譲り合ったという話は美談過ぎて俄には信じられない。そのことで弟は自殺しているわけだし、何かあるな。

【古墳を訪ねて 関西大学吹田校見学】

午後のカリキュラムは「古墳を訪ねて 関西大学吹田校の見学。受講生全員揃って高槻から阪急電車千里線の「関大前」へ向かう。30~40分位で到着すると「関大前」駅に接するように東門があるが、歩いて5分位のところに正門がある。せっかくの訪問なので正門から入ろうということで歩きだした。しかしこれがなかなかの坂道で日ごろの不摂生の影響が如実に現れる。校内には関西大学博物館がある。関西大学のキャンパスで最も古い建物である「簡文館」登録有形文化財2階に位置し50年以上の歴史のある文化遺産学研究の拠点と謳われている。博物館前の広場には「高松塚古墳壁画再現展示室」が作られている。高松塚の墳丘のイメージをドーム状の透明ガラスで表現しその下に石室があるのだが想像していたよりかなり小さい。中では色彩鮮やかな男女群像図や四神図を見ることができる。これらは美術陶板で再現されたものだそうだ。その作業を担ったのは徳島の大塚国際美術館で陶板名画を制作した大塚オーミ陶業株式会社。大塚国際美術館は以前訪れたことがある。一日では回り切れないと言うことと入場料が高かったなぁという記憶がある。しかし美術愛好家は一見の価値ありだと思う。高松塚古墳展示室見学の後、博物館に入り様々な考古学的発掘物や、歴史的文物、工芸品などを説明を聞きながら見学。関西大学博物館を堪能した。

 

学芸員の皆様お世話になりましたm(__)m 府民カレッジ高槻校一同